鬼子母神堂の歴史
池上鬼子母神堂は日蓮宗寺院・嚴定院の別院です。
大正9年厳定院四十世山田潮栄上人が「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和6年に本門寺総門前に別院として池上鬼子母神堂が建立されました。
鬼子母神について
由来と歴史
もともとは人間の子供を食らう、夜叉女(やしゃにょ)と呼ばれる女の鬼でした。サンスクリット語でハーリティという名前をもっています。
数千人ともいわれる子供を持つ親でありましたが、他人の子供を捕えては殺してしまうなどの残忍な行為を繰り返しておりました。
お釈迦さまは見るに見かねて、鬼子母神さまの愛する末子を隠し、子供を失う親の苦しみを悟らせました。
悔い改めた悪鬼・ハーリティは善神として活躍するようになり、子授け・安産・子育てなど子供の守り神になりました。のちに「鬼子母神」と呼ばれ、親しまれています。
【豆知識】鬼子母神の「鬼」には角が無い
上記の逸話のように、鬼子母神さまはお釈迦様に導かれ、「鬼」から「神」に転身しましたので、「鬼」の象徴である「角」がとれたのです。
(1画目のチョンが無くなりました。)
【豆知識】 「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」
「恐れ入りやした!」の「入りや」と「入谷(東京都台東区の地名) 」を掛け、入谷の真源寺(台東区下谷)に祀られている「鬼子母神」を続けて言ったシャレです。江戸の狂歌師・太田南畝が作った言葉遊びの一句、それが「恐れ入谷の鬼子母神」です。